殺すことが好きだった。奪ってはいけないものを犯す瞬間がたまらない。
 
 殺されそうになるのが好きだった。どんな娯楽よりも電気が走る。
 
 殺しあうのが好きだった。殺意と殺意の絡み合うぞっとするような緊張感が、肌に突き立っ
てたまらない。
 
 目を狙うのが好きだ、簡単に殺せるから。
 
 首をはねるのが好きだ、紅い噴水は派手で良い。
 
 返り血は嫌いだ、後で臭う。
 
 とっくに良識は捨てた。だが―――むざむざ拾える命を捨てるほど頭がおかしい訳でも無
い。
 
「致命傷は負うだろう。だが―――僕の勝ちだ」
 
 裸電球の明かりの下で、切れ切れの息のままで。
 
 男は淡々と勝利を宣言した。
 
 目の前のふてぶてしく笑う男―――衛宮切嗣―――の勝ちである事を認め、イレーネは殺
気を納めた。
 
 緊張は緩まない。しかし、たしかに空気は軽くなった。
 
「……悔しいがアンタの勝ちだ」
 
「ああ」
 
「どけてくれないかな、これ」
 
 たいした影響は与えていないが、切嗣の仕掛けた魔術はイレーネの胸元に食い込んでい
た。
 
 ちりちりと服が焦げ始めている。恐らくは、開放された瞬間に自分を貫くだろうとイレーネは
考えた。
 
「すこ、し、待ってくれ」
 
 殺意が薄れた事を確認すると切嗣は震える指を差しのばす。イレーネの胸元で紅い光が留
まっている。
 
「Out.」
 
 一言呟くと、空間に固定されていた煙草の火口は地面に落ち、小さな火花をちらして灰と散
った。
 
 足元に落ちたそれと、男の顔を交互に見比べる。しばらくの後、呆れを声に滲ませながらイ
レーネは訊ねた。
 
「……煙草?」
 
「そうだ」
 
 じゃあ、今の今までの気負いはなんだったのか―――
 
 馬鹿馬鹿しくなった。こんなところで、こんな手品に引っかかるとは夢にも思わない。
 
「は、はは―――ペテン師が」
 
 こんなペテンを仕掛けてくれるとは。震える息の男を見下ろす。
 
「抜いて、くれ、ないかな?」
 
「OK.ちょっとまちな」
 
 苦しそうに息を吐く男の顎を、そっと指先で撫でる。―――ず、と肉と鉄が擦れた。
 
「ぅ―――く」
 
 苦痛に色っぽい表情をする。痛めつけるのはさぞかし楽しいだろう。
 
 聞こえる呻きと、縦長の切れ込み、噴出す体液は生臭くぬるく、二人の吐息は荒い。それを
まるで―――情事の後のようだと思った。
 
 情事どころの話ではないか。
 
 生の実感だけではなく、此処には死に触れる冷たい慄きすらある。
 
 セックスの喜びにも勝る恍惚に身震いする。
 
「抜いたよ」
 
「ああ」
 
 痛みに手を震わせながら、切嗣は血液が噴出す傷口を押さえる。
 
「どうして?」
 
 殺す気ではなかったのかと聞けば、男はそんな積もりは無かったという。
 
 ただ評判の美人を見に来ただけだ。と、男は言った。
 
「それに、流石に攻性魔術を使うだけの余裕はなかった」
 
 だから―――煙草の火口だけを空間にとどめ、残りを引きちぎったと。
 
 笑い話にも劣る真相。真実勝ったのは自分だが、負けたのは自分で。
 
 それがおかしくて、イレーネは低く長く笑った。
 
 
 
 
 
 
 

 
 残念な事に、二人とも治療は出来ても治癒は出来ない。筋と神経が無事な事を確認してか
ら縫合するにとどめた。
 
「タフだね」
 
「そうかな」
 
「うめき声だけってのは久しぶりに見た」
 
「声が出てるのに?」
 
 ぐい、とイレーネは唇を拭う。
 
 指先についた血が唇に乗る。赤く染まった唇で、あでやかに微笑んだ。
 
「縫ってる間は呻きもしなかった、抜く時は別さ」
 
「そうか」
 
「そ」
 
 立ち去ろうとして、一度だけ振り返った。
 
「先に抜かせたほうが良かったんじゃないの?」
 
「何故?」
 
 心底不思議そうに、男が問い返す。
 
「殺気が薄れた程度で相手を信用するような男じゃないだろう?」
 
 虚を疲れたような顔で視線がさまよう。しばしの沈黙の後、平坦ではあるが、何処か恥ずか
しそうに男は言った。
 
「……考えても見なかった」
 
「―――は」
 
 ああ、理解した。
 
 この男は、敵を殺すこと以外に関しては何処までも純粋だと―――
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                        「A good & bad days 4.」
                          Presented by dora
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 4/
 
 ―――ふらりと旅に出ていた野良猫が帰ってきた。
 
 今の気分を言葉にするなら、きっとこんな感じだろう。ナタリーは切嗣のコートについた塵を
払いながら思った。
 
 当の野良猫はソファーに伸びている、問いただせば答えてくれるだろうか? いや、それで
他の女のところに居たとか言われても切ない。
 
 とりあえず食事にしようとキッチンへと足を向けた。其処へ、後ろから声が掛けられる。
 
「たまには僕が作るよ」
 
 意外と言えば意外な言葉。
 
 今の今までまったく家事を手伝わなかった男の言葉とは思えない。
 
「出来るの?」
 
 よって、それは心から出た言葉だった。
 
 む、と、不機嫌そうな声と共に彼が体を起こす。
 
「甘く見ないで欲しいな、僕だって簡単な物は作れるさ」
 
「そう? じゃあお言葉に甘えるわ」
 
 猫に遊んでもらうのも、一つの手か。
 
 本当に猫にたとえるのがしっくり来る男だ。
 
「手伝う?」
 
「必要ない、座って待っててくれれば良いよ」
 
 男はいそいそとエプロンをつけると、冷蔵庫からレタスとトマトを取り出す。棚からは出たの
は、ホールトマトの缶。
 
「んー、んふふ」
 
 なんとなくだが、作る物が読めた。
 
「と、なると。用意するのはワインよりもビールがいいわね」
 
 買い置きは無い、財布をポケットに突っ込むと、ナタリーは下の雑貨屋まで買出しに行く事
にした。
 
 恐らくはミートソース。しかし、作るには致命的に挽肉が足りない。
 
 ついでに買ってこようと思い、階段を三段飛ばしで駆け下りた。
 
 途中……一度転んだ事は、切嗣には秘密だ。
 
 
 
 
 
 
 
 往復所要時間は五分ほど。帰ってきてみると、切嗣が困ったようにエプロンを外していた。
 
「どうしたの?」
 
「挽肉がなくてね」
 
 買って来るからもう少し待ってくれという彼に、油紙に包まれた肉を手渡した。
 
「足りないのはこれ?」
 
「……すごいな、魔法みたいだ」
 
 ドラエもんて知ってるか? と、彼は言った。知らないわ。と、答えると、切嗣は少し寂しそう
な顔をした。
 
「そっか、残念」
 
「似てるの?」
 
「ああ、正義のヒーローだ」
 
 それは良い事を聞いた。豆知識のお礼に、キスを一つプレゼント。
 
 キッチンの冷蔵庫にバドワイザーを仕舞う。やはりビールは冷えているほうが美味しいと思
う。
 
 日本のビールもあったので、買ってきた。トラディショナルな文字で書かれたラベルには、ド
ラゴンに似た動物が描かれている。
 
 ジャパニーズメジャーなビールだと店主が言っていた、楽しみだ。
 
 
 
 
 

 
 
 
 テーブルに並んだのは、実にシンプルなメニューだ。ミートソースのパスタと、レタスとトマト
のサラダ。パンが三種に、ビールとチーズ。
 
 男の料理の見本みたいだ。
 
「いただきます」
 
「どうぞどうぞ」
 
 見た目はいまひとつ。サラダの野菜は不ぞろいだし、パスタソースは少し焦げた香りがす
る。
 
 内心苦笑しながら口に運び、一口目でぶっ飛んだ。
 
 ウィスキーの時と同じ。彼は魔法でも使ったのだろうか。
 
「どうかな?」
 
「―――奇跡だわ」
 
 ぱりぱりと水気たっぷりの野菜、ブラックペッパーと塩、オリーブオイルの絶妙なバランスの
サラダ。
 
 トマトの風味を最大限引き出し、挽肉の旨味が舌の上で暴れまわるパスタソース。
 
 塩加減も湯で加減も完璧なパスタ自体。そしてびっくりどっきりハーモニー。
 
「こんなの食べたこと無い―――」
 
「良かった」
 
 夢中になって食べた、思わずお代わりを頼んだぐらい。一心地着くまで存分に食べ、ビール
で口の中を洗い流した。
 
 幸福だ。食べ物ってすごい。
 
「……驚いた、私よりもよっぽど上手いじゃない」
 
 そういうと、彼は慌てたように首を横に振った。
 
「そんな事は無いさ」
 
「あるわよ」
 
「ちょっとした手品を使っただけで」
 
 む、と、軽く睨みつける。
 
 どうせ聞いたところでネタ晴らしは無しなのだ。
 
 困ったように彼が目を逸らす。
 
 ほら何時もどおり。これ以上聞いてもはぐらさされるだけだ。
 
「む、むむ、ホントに悔しい」
 
「……やりすぎたかな?」
 
「そんな事無いわ。ご馳走様♪」
 
 そういって彼のグラスにビールを足す。
 
 買って来たビールは、キリンという銘柄らしい。困ったように表情を緩めた切嗣を、黄色いグ
ラス越しに眺めた。
 
「何処に行っていたの?」
 
「もう憶えていないな」
 
 許されると思って聞いたのに、帰ってきたのは人を食った答えだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「ちょっとでかけてくる」
 
 男の声に、落ちかけた瞼を上げる。ワイシャツにネクタイ、スラックスのしわは無い。しわだら
けのシーツから身を起こす。
 
 情事の気だるさを押しのけて、問うた。
 
「今日は帰るの?」
 
「そんなに先の事はわからない」
 
「答えになってない」
 
 頬を膨らますと、彼は悪戯っぽく笑いながら言った。
 
「冗談だ、ちょっと一杯飲んでくる」
 
 扉の開く音としまる音。
 
 翻るコートのすそ。
 
 二人の体臭。
 
 暗めの照明に、いつしか意識を奪われる。
 
 そっと手を伸ばす。彼の居た場所―――ナタリーの隣―――からは、不思議と温もりが消
えなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 新しい来客を告げるベルが鳴る。ジー、と機械的に響くそれがひどく耳に障る。隣に無遠慮に座った男を、切嗣は横目で盗み見た。
 
「バーボン」
 
「銘柄は?」
 
「詳しくない、任せた」
 
「かしこまりました」
 
 年のころは五十台、整えられた髭と、後ろでまとめられた髪に白い物が混じっている。
 
 帽子を脱ぐと、カウンターの上に男は置いた。
 
「帽子掛けは無いかな」
 
「申し訳ございませんが」
 
「じゃ、被っていてくれ」
 
「は?」
 
「冗談だ。仕方が無いな」
 
 皮肉な笑いを浮かべて男は隣に帽子をどかした。程なくして、丸く削られた氷の浮いたグラ
スが置かれる。同郷だろう、と、切嗣は推測した。
 
「ビールをくれるか、バスペールがいい」
 
「かしこまりました」
 
 どこか粘性の音を立てて切嗣のグラスにビールが注がれる。口をつけようとしたときに、声
を掛けられた。
 
「酒に詳しいようだな」
 
「アンタと似たようなものさ」
 
 素っ気無い切り替えし、言ってから後悔した。これでは警戒しているのと同じだ。
 
 
 

 
「衛宮切嗣だな」
 
「アンタは?」
 
「南雲、南雲光一だ」
 
 隣町で神父をやっている、と、男は言った。
 
「挨拶に来た」
 
「偶然見つけたわけじゃないようだな」
 
「探させてもらった、判り難かったよ」
 
「探偵でも?」
 
「―――昔取った杵柄って奴だ」
 
 一息でグラスを干す、顔色はまったく変わらない、酒には強いのだろう。
 
「いいのか、神父が飲んで」
 
「俺は吸血鬼じゃない。喩え聖者の血だろうと、血と名のつくものを飲む趣味は無い」
 
「偏見だな」
 
 からからと氷がなる。南雲は三杯のアルコールを干すと言った。
 
「ジョナサン・ローデスは俺がやる」
 
「好きにするさ、まあ―――」
 
 グラスを呷って、言った。
 
「―――アンタが僕より速いとは思えないがね」
 
 切嗣の言葉に、空気の色が変わる。
 
 硬く、重く。どこか角がたった。
 
「試してみるか?」
 
 相手を見ない、見る必要は無い。グラスはカウンターに置かれ、利き腕はぱらりと五指を開
く。上着のボタンを外した。
 
 利き腕の反対側に南雲は座っている。少し不利だ、と、切嗣は思った。
 
 他に客は居ない、バーテンは、ゆっくりと舟をこいでいる。いつしかラジオも止まっていた。
 
「冗談だ」
 
 不意に、南雲が緊張を解いた。それにつられて、意識のたがを緩める。だが、それはあくま
で激発のためで―――
 
 どこかに緩んだ蛇口があるのか、遠くから、水の落ちる音が聞こえる。
 
 ぴと、ぴと、ぴと―――鼓動と呼吸、水滴の落ちる音が一致した瞬間―――お互いの脳天
に、お互いの銃口が向けられていた。グリップを切り詰めたガバメント、自分で改造したのだ
ろう、袖口に仕込んであったのか、腕の一振りで出たそれは、魔術を使って速度修正した切
嗣に十分に並んでいた―――否。
 
「……撃てよ」
 
 掠れた声だ。緊張で掌に汗をかいた、相手のほうが僅かに速い。それが、感覚で理解でき
た。だが僅かな差だ、死ぬのはほぼ同時だろう。決定的な速度の差ではない。アドレナリン
のつんとした感覚が鼻の奥を焦がす。銃を握った右手が、かすかに震えた。
 
「先に撃たせてやる」
 
 殺意が笑みを形作る。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「脅しだと思わないことだ―――」
 
「―――やればいい、だがアンタも無事で済むとは思うな」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 夜は長い。
 
 この対峙はいつまで続くのだろう。と、切嗣は考えた。
 
 答えなんて出るわけがなかった。
 
 〜To be continue.〜
 







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